第一代 角谷 巳之 ( 1869-1945)
最初的角谷家是修建宫廷的木匠,明治18年左右,受到铸器魅力吸引,开始走向铸器师之路.主要擅长姥型铸造,除了茶釜之外也制作许多铁壶.且于大正14年的巴黎万国博览会中展出铁制烛台,博得好评.
祖父の巳之助は信仰厚く「多聞山 安養寺」(大阪府八尾市恩智中町)に自作の鋳鉄製の弘法大師像を昭和9年に奉納しました。像の高さは50センチほどでしょうか。
あるとき寺が盗賊に襲われ、右手が破損したものを父一圭が昭和59年に修復しました。云われは像の横にある顕彰碑にあります。その時の修復では粘土で手の原形をこしらえて鋳造し、取り付けたようです。素焼きの原形が我が家に残されています。
巳之助の銘と顕彰碑
第二代 角谷 一圭(1904-1999)
从童年的开始,即帮忙父亲铸器制作,21岁于大阪府工艺展中展出之铁壶获奖,正式地开始热衷创作.之后,在日本传统工艺展获得高松宫总截奖 ,朝日新闻社赏得奖,昭和51年蒙赐动四等瑞财奖,53年日本国认定为"人间国宝".之后,昭和48年和平成5年两度制作伊势神宫式年迁宫御神宝镜.
人间国宝”的由来
1949年1月26日,日本法隆寺金堂发生火灾,法隆寺金堂壁画被烧毁。这一无法挽回的损失,触动了当时的日本政府,催生了保护文化遗产法律的诞生。1950年,「文化财保护法」公布,明确将「无形文化财」纳入其中,主要涵盖演剧、音乐、工艺技艺,最高等级称为「重要无形文化财」,根据文化财产保护法的规定,将日本历史上或艺术上有价值的戏剧、音乐、工艺技术、及其它无形文化成 果视为“无形文化财产”。
在日本,无形文化财是由文部科学大臣指定的。 而“无形文化财”中最重要的部分,称为“重要无形文化财”。 朝日新闻出版的周刊百科有关于“重要文化財309人の世界”的系列期刊,称谓为:“人间国宝”。
“人间”实指为人群,也即为普天之下(日本)的大众,“国宝”实为称那些“重要无形文化财”的传承人。
其中第64刊金工简介三人:『週刊人間国宝 64 工芸技術 金工⑦長野垤志.角谷一圭.高橋敬典 』 2007年8月26日号
在日本江户(1615-1868年)末期到昭和(1926-1989年)末期的二百多年中,仅日本京都地区就出现了百余家铁壶堂号,近千位釜师,而其中比较著名的铁壶堂号也有五十多家,这些著名堂号旗下的名釜师也不下五百人之多。在日本的铁壶名师中还必须要提及到如下三人,他们是被日本国家授予“无形文化财”,也就是人间国宝的工业技术类的金工类釜师长野垤志、角谷一圭、高桥敬典,以上三人的造壶技艺已属炉火纯青,其中角谷一圭更是上乘高手。
角谷一圭 年譜
1904(明治37)年 現在の大阪市東成区深江に
10月12日 父・角谷巳之助、母・ハルの四男として誕生。 本名・辰治郎
1910(明治43)年 6歳 この頃、鋳物師の父の仕事を手伝い始める
1925(大正14)年 21歳 大阪工芸展に初出品した鉄瓶が受賞
1958(昭和33)年 54歳 第5回日本工芸展で「海老釜」が高松宮総裁賞を受賞
1961(昭和36)年 57歳 第8回日本伝統工芸展で「独楽釜」が朝日新聞賞を受賞
1973(昭和48)年 69歳 第60回伊勢神宮式年遷宮御神宝鏡31面を謹作
1976(昭和51)年 72歳 勲四等瑞宝章を受章
1978(昭和53)年 74歳 重要無形文化財保持者(茶の湯釜)に認定
1993(平成 5)年 89歳 第61回伊勢神宮式年遷宮御神宝鏡31面を謹作
1999(平成11)年 95歳 1月14日死去。享年95歳